WANDERER

目指せ「旅慣れ」!30代サラリーマンが旅についてあれこれ綴ります。

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【読書】「パタゴニア」/万華鏡を覗くような“旅物語”

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今回はブルース・チャトウィン「パタゴニア」をご紹介します。このブログの開設にあたって、大きな影響を受けた本です。

 

 

「パタゴニア」との出会い

「旅の本」1冊目としてご紹介するのは、ブルース・チャトウィン著/芹沢真理子訳「パタゴニア」(河出文庫)です。

前述のとおりこの本は、私に「旅について考えたい・書きたい」と思わせ、結果的にはこのブログを始めるきっかけとなった本です。

 

そもそも、本書に出会ったのは2017年秋のことでした。

新刊コーナーに平積みにされている本書を見つけて、素敵な表紙に惹かれた「ジャケ買い」でした。

※文庫とはいえ、1,000円超えなので若干の勇気はいりましたが……。

 

 

あらすじ

人はなぜ移動するのか。

マゼランが見た裸の巨人、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッド、伝説の一角獣、オオナマケモノを見つけた19世紀の船乗り、世界各地からの移住者たち……。

幼いころに魅せられた一片の毛皮の記憶から綴られる、繊細かつ壮大なる旅の軌跡。不毛の大地に漂着した見果てぬ夢の物語。

 

ブルース・チャトウィン著/芹沢真理子訳「パタゴニア」(河出文庫)裏表紙より

 

 

ブルース・チャトウィンについて

著者であるブルース・チャトウィンのことは本書を読むまで知りませんでした。

チャトウィンは1940年イングランド生まれ。

美術鑑定家、新聞記者として働くとともに、世界各地を旅し、48歳のときにエイズで亡くなりました。

 

池澤夏樹による巻末解説の中で、インタビューの名人、ハンサム、座談会の達人、物まねの名人、審美家などと評されているように、非常に人間的な魅力がある人だったようです。

この「パタゴニア」は彼の一作目の著作で、1977年に出版され、高い評価を得ました。

 

一つ、驚いたのが、私も使っているノート「モレスキン」の名付け親がチャトウィンだったということです。

 

このノートブックは、ブルース・チャトウィン のお気に入りで、彼がこのノートブックを「モレスキン」と呼んでいました。しかし、1980年代半ばに、このノートブックは次第に少なくなり、そしてついに完全に消えてしまいました。チャトウィンは著書「ソングライン」の中で、小さな黒いノートブックについて語っています。1986年、フランスのトゥールにある、家族経営の小さな製造業者が倒産してしまった。”Le vrai moleskine n’est plus,”(本物のモレスキンはもう存在しない) : これは彼がいつもノートブックを購入していた、ランシエンヌ・コメディ通りの文房具店の店主が残した言葉です。チャトウィンは、オーストラリア旅行に備え、手に入る全てのノートブックを購入しましたが、それでも十分ではありませんでした。

 

https://www.moleskine.co.jp/moleskine-no-rekishi

 

 

それだけで、ちょっと親近感を覚えてしまいます。

 

 

紀行文の概念を覆される

本書は私の紀行文に関するイメージを覆すものでした。

それゆえに、私の力量ではその魅力のほんの一部しか伝えることができず、感想文1冊目には不向きなようにも思えますが……

 

このブログの開始にあたり大きく影響を受けたことは間違いありませんので、感想を書いていきたいと思います。

 

私の中で、紀行文(もしくは旅行記)というのは、順をおって、自分の旅について記すこと、読者はそれを読むことで旅の追体験をするものだと思っていました。

 

例えば、「こんなところに行きました」、「こんな人と会いました」、「こんなものを食べました」、「こんなことを思いました」とか。

ものによっては、面白おかしく「こんなハプニングが起きました!」だとか。

 

この「パタゴニア」という本も、「著者であるブルース・チャトウィンが南米のパタゴニア地方を旅する話しなんだろう」、そう思っていました。

しかし、その想像は裏切られることとなります。

 

いや、「彼がパタゴニアを旅する話し」ということ自体は間違ってはいないのです。

が、それだけではないのです。

 

旅に出るきっかけとして語られるのは、彼が子どもの頃に執着していた一片の皮です。

それは、祖母のいとこであるチャーリー・ミルワードがパタゴニアで発見したというブロントサウルスの皮(のちに実際にはミロドンという、絶滅したナマケモノの一種の皮であったことが判明します)でした。

 

本書では、ブエノスアイレスをスタートとして、パタゴニア地方を旅しながら、最終的にはプエルトコンスエロ近くの洞窟で、祖母の死とともに失われていた、“赤茶けた剛毛の房”を手に入れます。

そして、ところどころチャーリー・ミルワードの足跡を辿る描写があります。

 

なので、本来であれば「自らの幼少体験から、“ブロントサウルスの皮”と伝説的な祖母のいとこの足跡を求める旅」となりそうなものですが、彼自身の旅については、あくまで淡々と語られるに過ぎません。

 

記されているのは「○○へ行った」「○○に会った」という程度のことで、「なぜそこに行くのか」「どう思ったのか」などといった心の動きは、ほとんど記されていません。

 

正直、読んでいても、彼自身が旅する姿は全く見えてこないのです。

 

では、この本に何が書かれているかというと、

それは、旅の中で出会った様々な人や場所をキーとして想起される物語です。

 

 

王国をつくった男

ひとつ、私が気に入っているエピソードを例として挙げましょう。

 

チャトウィンはアルゼンチンのネグロ川を越え、パタゴニアの砂漠を前にしたところで、かつてこの地域を領土の北限としていたある王国について語り始めます。

 

1859年フランス人弁護士のオレリー=アンワーヌ・ド・トゥーナンはパタゴニアの地に王国をつくることを思いつき、南米へ旅立ちます。

同行者は通訳と、“彼自身の中に存在する”架空の外務大臣と司法長官の3人でした。

 

アラウカノ族がアルゼンチン・チリの支配へ抵抗していることを知った彼は、翌年の1860年に立憲君主国の建国を宣言し、パタゴニア全域を支配領域とします。

憲法、軍隊、国家なども作成しますが、やがてチリ政府へ捕縛され、パリへ強制送還されることとなります。

 

オレリー=アンワーヌはその後3回復帰を試みますが、いずれも送還され、王位への復帰を果たすことはできませんでした。

 

その後、数人の王位継承者を経て、 本書の出版当時はパリ在住のフィリップ・ボワリーが、アラウカニアおよびパタゴニア王国の世襲皇太子の肩書を持っており、本書においてのこの記述はパリでのチャトウィンとフィリップの会見で始まり、会見で終わります。

 

確かに、王様になるのは“男のロマン”であると思うのですが、この話しはちょっとロマンが大きすぎるような……。

しかし、こんなことがかつて本当にあったなんて信じられないとともに、その時代のパタゴニアの無法地帯っぷりというか、おおらかさというか、そんなものを感じられるエピソードです。  

 

本書ではこういったエピソードが随所に散りばめられており、彼が訪れた地で想起される物語が、時代も場所も飛び越えて、積み重なりあうことで構成されています。

 

 

まるで万華鏡のよう

チャトウィンの旅とともに語られるエピソードは、私の印象に残っただけでも、

 

  • ヨーロッパ各地からの開拓移民やその子孫たちとの交流や、彼らの物語
  • エプエン近くの湖での、アルゼンチン全土を熱狂の渦に巻き込んだプレシオサウルス狩り
  • チュブトでは、かつてそこに住んでいたブッチ・キャシディとサンダンス・キッドについての物語
  • 2人は有名な映画『明日に向かって撃て!』でも描かれているとおり、ボリビアで銃撃を受けて死亡したとされているが、チャトウィンは「彼らが生き延びた」という説を基に、彼らのその後の足跡を追う
  • コモドロリバダビアでは天才神父との出会いから始まるヨシル原人、一角獣の物語
  • ジョン・デイヴィス、マゼラン、ドレイクといった航海者たちの物語
  • アントニオ・ソートというアナーキストによる、革命の試みと暴動について
  • チロエ島では、ブルヘリアと呼ばれる魔法使い集団について
  • 世界最南端の街、ウスアイアでは、かつて監獄に収監されていたアナーキスト・ラドウィッツキーについて
  • 英王室船ビーグル号によってイギリスへ誘拐された先住民と、その末路
  • チャーリー・ミルワードの数奇な人生

 

といったものたちがあります。

 

これらが、旅の途上で自由に時間も場所も飛び越えて語られるため、本書を読んでいるとチャトウィンの旅ではなく、その地に暮らす/暮らした無数の人々の物語を体感することとなります。

 

その、悲喜こもごも。いや、頭に思い浮かぶパタゴニアのイメージがどうしても荒涼とした大地であり、語られるエピソードも故郷を遠く離れて細々と暮らす人々のものが多いため、どちらかというと悲しげに聞こえる物語たちは、まるで儚くも美しい万華鏡を覗いているかのようにも感じられます。

 

でも、本書を読んで思ったのは「旅ってそういうものかもしれない」ということでした。

私が旅をするとき、そこに他の人々の物語や、過去の人々の物語が絡み合って、新たな物語が生まれるのかもしれない、そんなことを考えさせられました。

 

旅に出たい!そして、旅について考えたい!

そう思わせる作品です。

 

一般的なイメージの中にある紀行文としてではなく、一つの美しくも悲しい“旅物語”として、本書は私の本棚に生涯並び続けることは間違いないと思います。