紀行文学の名作・沢木耕太郎「深夜特急」の第6巻をご紹介します。ついに最終巻!ギリシャからイタリアへ渡り、<私>の長い旅もゴールが近づいてきたはずなのですが……。
前回ご紹介した第5巻ではトルコから、ギリシャへ入国。旅の終わりが近づく中で、<私>は喪失感を覚え始めます。
最終巻となる第6巻では、ギリシャからフェリーでイタリアに到着したところから物語が始まります。
イタリア、フランス/モナコでリベンジマッチ!?
イタリアに到着した<私>でしたが、鉄道が整備されているイタリアではどこにいっても「なぜバスを使うんだ」「鉄道で行け」と言われてしまいます。
ここからは、都市間に走る長距離バスではなく、ローカルバスを乗り継いで旅をすることに。
地元の人々の生活の足を使うことで、また新たな出会いも生まれます。
でも、この6巻は随所に面白いエピソードはあるものの、これまでのアジア・中東と比較してしまうと少し小粒なような気もしてきます。
それは、ヨーロッパに大都市や観光地が多いことともに、<私>の旅に対する意識の変化が影響しているからであるように思えます。
ローマ、フィレンツェを訪れ、さらにピサのあとヴェネチアに行く……はずが、カジノでのリベンジ・マッチを夢見てモナコに向かうことにします。
この出来事だけを見ていると、第5巻で時間の経過とともに旅が変わってしまったという記述がありましたが……あまり変わっていないような(苦笑)
モナコに到着した私は、勇んでカジノに入場しようとしますが、門衛に止められてしまい……こう言われます。
「ここではジャケットの着用が必要なのです」
リベンジ・マッチを諦めた<私>はニース、マルセーユと南仏の街々を巡ります。
マルセーユからパリまではバスで1本。パリからロンドンはなので、旅は終わったようなものです。
しかし、私は旅を終わらせることを拒絶します。
しかし、私にはここが旅の終わりだということがどうしても納得できない。どこまで行けば満足するのかは私にもわからなかった。ただ、ここではない、ということだけははっきりしている。ここではない、ここではないのだ。
~本文中より
スペイン、ポルトガル/ユーラシアの西端で発見したこと
<私>はマルセーユからバルセロナ、バレンシアを経由して、あっという間にマドリードにたどり着きます。
マドリードしばらく滞在し、さらに西を目指してポルトガルへ向かうことに。
首都・リスボンでは、45日間かけて日本にたどり着く船便が出ていること知り心が揺れます。
しかし、リスボンを終着の地にすることに納得がいかなかった<私>は、たまたま飲んだビールの名の由来であるサグレスという町へ向けて出発することを決めます。
リスボンを朝出発して、サグレスに到着したのは夜でした。
満天の星空の中、街灯もない道を宿を探して歩きますが、何も見つけることができません。
真っ暗闇の中で、野犬に怯えながら、途方に暮れた<私>はなんとか休業中のペンションに泊めてもらえることになります。
通されたのは、とても素敵な部屋!そして、格安。
幸せな気分で眠りについた<私>が、翌朝目を覚ますと窓の外には海がひろがっていました。
よほど印象が良かったのか、この宿についてとても詳しく記述してあり、是非とも泊まりたくなります。
エンリケ航海王子が創立した航海学校跡を訪れた<私>は、以前にもここへ来たことがあるような不思議な感覚に襲われます。
そして午後、サン・ビセンテ岬からサグレスの海を見つめて下記のような考えが頭に浮かぶのでした。
ふと、私はここに来るために長い旅を続けてきたのではないだろうか、と思った。いくつもの偶然が私をここに連れてきてくれた。その偶然を神などという言葉で置き換える必要はない。それは、風であり、水であり、光であり、そう、バスなのだ。私は乗合いバスに揺られてここまで来た。乗合いバスがここまで連れてきてくれたのだ……。
~本文中より
例の素敵な宿で夕食をとった<私>は、食後に紅茶を注文します。
そして、「紅茶が自慢」というそのホテルの名前と住所が入ったカードを見て、驚きます。
そこには、
RESTAURANTE E CASA DE CHÁ(レストランと紅茶の家)
と書いてあったのです。
そう、ポルトガル語で「茶」は「CHÁ」だったのです。
<私>は、ユーラシアの果てから出発して、アジアからヨーロッパへ、仏教、イスラム教の国からキリスト教の国へ、「C」の茶の国から「T」の茶の国に入ったと思っていました。
でも、ユーラシアのもう一方の端も「C」の茶の国だったのです。
そして、この章は下記の言葉で締めくくられています。
翌日、朝の光の降りそそぐテラスで食事をとりながら、これで終わりにしようかな、と思った。
~本文中より
ロンドン/ついに、ゴール!?
ユーラシアの西の果てで旅の終わりを感じた<私>。
とても綺麗なエンディング……に思えますが、まだ「深夜特急」は終わりません。
ここで終わっていた方が、「物語としては綺麗」と思わなくもないですが、それで終わらないのが「深夜特急」とも言えるのかもしれません。
やはり旅というものは、そう簡単には終わらせたくないものです。
サグレスに3日滞在した<私>は、またバスを乗り継ぐ旅を経て、マドリードへ。
だんだんとまた旅が楽しくなってきてしまいますが、バスに乗って一気にパリまでは到着します。
そのパリで、偶然出会った日本人学生から部屋を借りることになり、いよいよ年を越してしまいます。
さすがに出発することにして、サグレスで終了の決断をしたはずが、宙ぶらりんになったままの旅に決着をつけるためにロンドンへ向かいます。
入国審査で足止めを食らうアクシデントはあったものの、ついにゴール地点のロンドンへ到着。
2泊したあと、日本の友人たちに電報を打つため、いよいよ中央郵便局へ。
しかし、そこで局員にあっさりと「電報は打てない」と言われてしまいます。
なぜなら電報は郵便局ではなく、電話局から打つのでした。
そして、どこに電話局があるか尋ねた<私>に対して、局員は言います。
「電報は電話から打てる」と。
そう、私は今までロンドンの中央郵便局を目指して旅をしてきましたが、電報は電話があればどこからでも打てたのでした。
確かになんとなく、電報って郵便のイメージがありましたが、日本でも電話会社に頼むんですね。
事実を知った<私>はロンドンの街を歩き始めます。
電報は電話があるところならどこでも打てるらしい。ということは、ロンドンのどこからでも可能ということになる。いや、もうそこがロンドンである必要はないのかもしれない……。
クックック、と笑いが洩れそうになる。私はそれを抑えるのに苦労した。これからまだ旅を続けたって構わないのだ。旅を終えようと思っていたところ、そこが私の中央郵便局なのだ。
~本文中より
<私>は次の旅先を探し、旅行代理店に入ります。
その後、近くの公衆電話から《ワレ到着セズ》と電報を打つのでした。
ここで、本当に「深夜特急」は終了します。
本は終わるが、旅は続く。このエンディングは想像の範囲内ですが、そこに至るまでの過程は予想外でした。
でも、この「深夜特急」では旅の先々での経験を通して、<私>が今まで縛られていたルールのようなものから、「自由になれた」と感じる描写がいくつかあるのですが、最後の最後で「旅のゴール」ということからも自由になったといえるのではないでしょうか。
2008年に出版された「旅する力ー深夜特急ノートー」には、この旅に出た理由、実際には続いていたロンドン後の旅の行方、帰国後「深夜特急」の執筆にいたるまでなどが綴られています。
気になる方は是非、手にとっていただければと思います。
私自身のことを考えると、彼が旅に出た当時の26歳という年齢をすでに上回ってしまいました。
それより前にこの「深夜特急」に出会っていたら、とどうしても考えてしまいます。
(実際に旅に出る決断をできたかどうかは別として……)
彼も「旅する力」の中で、旅には適齢期があり、「深夜特急」のような旅は20代にしかできないと述べています。
一方で、30代には30代を適齢期をする旅があり、50代には50代を適齢期とする旅があるはず、とも書いています。
今から「深夜特急」と同じことはできないかもしれませんが、10年後、20年後に後悔しないように「30代にしかできない旅」を楽しみたいなぁ、と思わされました。