今回はポール・セルー「鉄道大バザール」上巻をご紹介します。著者ポール・セルーが鉄道でユーラシア大陸往復に挑みます。上巻はロンドンからカルカッタまでです。
前回ご紹介した「パタゴニア」ですが、実は続編があります。
その名も「パタゴニアふたたび」。
今回、ご紹介するのはその本、、、ではありません。
その本でブルース・チャトウィンの共著者となっているポール・セルー著/阿川弘之訳「鉄道大バザール(上)」です。
あらすじ
アメリカの作家ポール・セルーが、贅沢にもローカル列車による世界の旅に、つまり、ドン行列車の旅に出た。世紀の大旅行を名訳で。
線路は続くよどこまでも
上記の説明だけだと、よく分からないですね。
本書は、ロンドン在住のアメリカ人作家ポール・セルーがロンドンのヴィクトリア・ステーションから東京駅まで、あらゆる鉄道を駆使してユーラシア大陸を横断する旅行記です。
旅自体は1973年に4か月間をかけて行われ、本書は1975年に出版されています。
明確な目的だとか、ルールというものは明記されていませんが、セルーはとにかく「なるべく大好きな鉄道を使ってアジアまで行って帰ってくる」ことを目指します。
冒頭で、セルーは自らの汽車(鉄道)愛について下記のように書いており、ここでタイトルの「バザール」の正体が判明します。
私にとって、汽車の汽笛はなつかしの歌声である。大体鉄道なるもの自体に、バザールというか夜店の賑わいというか、何か人を惹きつける不思議な魅力があるらしい。地形などお構いなしにうねうくねとなめらかに突き進む汽車。快適なスピード感で人の気分を一新してくれて、しかも決して卓上の酒がひっくり返ったりしない汽車。鉄道の旅ならたいていのことは安心していられる。
また、中盤では鉄道とその他の交通手段の違いについて、下記のようも書いています。
飛行機に乗ると、長時間窮屈な座席に縛りつけられるし、船だと程よく社交的に振舞わなくてはならない。自動車とバスは論外だが、その点汽車という奴は、一切面倒なこと無しですむ。
<中略>
ほんとうの旅とは、次から次へ現れる人間くさい光景のことであろう。空を飛び海を渡って、何も見ないのは、まやかしの旅に過ぎない。まるい大きな地球の上を自分の足で歩いた昔の大旅行家の旅を継承しているのは汽車だけである。汽車に乗れば、そこに人の人たる生活がある。
確かに、といった感じです。
セルーが乗った列車たちは、国境をまたぐ国際列車もあり、地元民が使う生活路線もあり、寝台車あり、食堂車ありと、様々表情を見せてくれます。
そこで出会う国籍も階層も異なる人々との交流はまさに鉄道旅行の魅力といえるでしょう。
世界の車窓から
今回ご紹介する上巻でセルーが乗車したのは主な路線は以下のとおりです。
列車名は、各章のタイトルにもなっています。
- ロンドン⇒パリ
- パリ⇒イスタンブール(トルコ) ※直通オリエント急行
- ハイダルパシャ(トルコ)⇒ヴァン(トルコ) ※レイク・ヴァン急行
- ヴァン⇒テヘラン(イラン) ※テヘラン急行
- テヘラン⇒メシェッド(イラン) ※ナイト・メイル号
- トム・カム(アフガニスタン)⇒ペルシャワル(パキスタン) ※カイバル峠越え
- ペルシャワル⇒ラホール(パキスタン) ※カイバル・メイル号
- アムリッツアル(パキスタン)⇒デリー(インド) ※フロンティア・メイル号
- デリー ⇒シムラ<(インド) ※カルカ・メイル号
- デリー ⇒ボンベイ <(インド) ※ラージダーニ急行
- ジャイプル(インド)⇒デリー ※デリー・メイル号
- デリー ⇒マドラス (インド) ※グランドトランク号
- マドラス ⇒ラメスワラム<(インド)
- タライマンナル(スリランカ)⇒コロンボ(スリランカ)
- ガル(スリランカ)⇒コロンボ
- マドラス ⇒カルカッタ<(インド) ※ハウラー・メイル号
オリエント急行では、途中駅で乗客の一人が取り残され、
レイク・ヴァン急行では、ヒッピーたちに冷ややかな視線を浴びせ、
テヘラン急行では、怪しげなトルコ人ビジネスマンと出会い、
フロンティア・メイル号では、死臭漂う薬物中毒のドイツ人青年と出会い、
シムラへ向かう気動車で、パンジャブ州の財務長官に昼食に招かれ、
インドの街々の雑踏に驚き呆れ、
デリーの大使館では、下痢の話しばかりを聞かされ、
ラメスワラム行の列車では、ボルチモア出身の托鉢僧と口論をし、
セイロンでは乗客に金やら持ち物やらをねだられ続け、
各地で現地人に絡まれたり、青年たちの恋の悩みを打ち明けられたり……
などなど、
ほとんどは、奇想天外な道連れたちとの車内での会話、そこに車窓に映る情景や、停車駅での出来事を加えて、テンポよく物語は進みます。
しかしまぁ、著者の口の悪いこと。
色々と厳しい現代では許されないのではと思うところも多々出てきます。
でも、同乗者たちや通過各国へのその鋭い視線や批評が、この物語の面白さでもあります。
また、一貫して列車を使う筆者の旅を通すことで、各地の文化の違いが浮かび上がってきます。
客車や食堂車の設備がどういうものかとか、女性たち扱われ方の違いとか、車掌の対応の様子だとか、セルーはそういったものを克明に記していくのです。
この列車で旅をするということに関し て、ジャイプルで大使館の渉外役の知ったかぶりな観光案内に辟易としながら、セルーは次のように考えます。
そもそも私の旅の目的が、行先のことなど思い煩わずに、ただ汽車に乗っていられればいいのであって、見物は汽車と汽車の間の時間つぶしに過ぎない。
普段、旅行をしようと思うとどうしても「どこに行こう」「なにを観よう」ということばかり考えてしまいますが、この、「移動」が目的の旅というのは非常に魅力的に思えます。
ちなみに、セルーと同じことをしようとしても、彼が乗った鉄道の中には今では乗ることのできないものもあるようです。
驚いたのが、オリエント急行が今はもう走っていないことでした。
同名を冠した観光列車はあるようなのですが、本来のイスタンブール行きのオリエント急行はとっくに廃止されているそうです。
同車といえば、アガサ・クリスティの小説でも有名なように豪華列車というイメージでしたが……
セルーが旅した頃にはすでに時代遅れになっていたようです。
彼はなぜこの列車が多くの犯罪小説の舞台になっているかというと、「犯罪的」にひどいからだ、なんて言っています。
関係ないですが、「汽車」と打とうとするたびに「貴社」と変換されてしまう私のPC……
会社員から旅人になるには時間がかかりそうです。
次回は「下巻」をご紹介します。ついに、日本も登場します。