ポール・セルー「鉄道大バザール」下巻をご紹介します。インドまで到達したセルーは東南アジア、さらに日本を目指します。
前回の上巻に引き続き、今回はポール・セルー著/阿川弘之訳「鉄道大バザール(下)」をご紹介します。
あらすじ
阿川弘之の流麗かつ芳醇な訳で贈る、ポール・セルーのユーラシア一周汽車の旅。
出会いと別れ。各国各様の人生を乗せて……。
東へ、そして西へ
ロンドンのヴィクトリア駅を出発して、ヨーロッパ・中東・インドを通過した著者。
鉄道の通っていないインド=ビルマ(ミャンマー)間を飛行機で移動し、下巻はラングーン(ヤンゴン)からスタートします。
下巻でセルーが乗車したのは主な路線は以下のとおりです。
※都市名・国名は書籍内の表記に準じているため、現在のものとは異なるものがあります。
- ラングーン(ビルマ)⇒マンダレー(ビルマ) ※マンダレー急行
- マンダレー⇒メイミョー(ビルマ)
- メイミョー⇒ナウン・ペン(ビルマ) ※ラシオ・メイル号
- ノンカイ(タイ)⇒バンコク(タイ)
- バンコク⇒バタワース(マレーシア)
- バタワース⇒クアラ・ルンプール(マレーシア) ※ゴールデン・アロー号
- クアラ・ルンプール⇒シンガポール ※ノース・スター号
- サイゴン(ヴェトナム)⇒ビエン・ホア(ヴェトナム)
- ユエ(ヴェトナム)⇒ダナン(ヴェトナム)
- 東京⇒青森 ※特急はつかり
- 函館⇒札幌 ※特急おおぞら
- 東京⇒京都 ※超特急ひかり
- 京都⇒大阪 ※こだま
- ナホトカ(ソ連)⇒モスクワ(ソ連) ※シベリア横断急行
ゴクテイク峡谷の絶景
下巻最初の読みどころ(見どころ?)は、ビルマのゴクテイク峡谷だと思います。
日本では“ゴクテイク”ではなく、“ゴッティ”と呼ばれることが多いようですが、この渓谷には壮大な鉄橋がかかっています。
“ゴッティ鉄橋”で調べていただくと画像が出てくるかと思いますが、物凄いところに鉄橋がかかっています。
調べた見た感じ、現在では観光客も鉄道で渡ることができるようですが、セルーが旅をした当時は社会情勢が不安定で「外国人は立ち入り禁止」という噂も耳にしつつも、彼は北へと向かいます。
セルーは途中のメイミョー駅で通信士と仲良くなり、ラシオ・メイル号に潜り込むことに成功します。
そこは、列車の最後尾についている武装警乗隊の専用車でした。
途中、通行許可証の提示を求められるといったトラブルもありながら、橋へと到達します。
橋について、彼は下記のように書いています。
こんな人里離れた場所にこのような人工の建造物が存在すること自体、異様な感じがするが、しかも橋梁は、峡谷の壮大さに少しも負けていなかった。むしろ、幽邃壮大なあたりの景観を圧していた。
是非とも、一度はこの眼で見てみたい景色です。
舌鋒はいよいよ鋭く
その後ビルマから飛行機でタイに入ったセルーは、北部の町ノンカイから渡船でラオスのヴィエンチャンに入ります。
上巻から言いたい放題だった著者ですが、ラオスにいったっては散々な言いようです。
何ひとつ生産出来ず、すべてを輸入に頼り、これを以って国を立てるところは全くない。それでいて万事フランス気取りの、フランス風が大好きという不可解な国だ。とにもかくにもラオスが国として存在していることが驚きであって、(略)
このあと、もっとひどいことが書かれていますが、さすがに書けません……。
そして、その矛先は彼の母国にも向けられるのです。
タイ、マレーシア、シンガポールを経て彼が訪れたヴェトナムは、当時和平協定に基づいてアメリカ軍が撤退した直後だったようです。
そのヴェトナムに彼は「汽車に乗りたくて」向かいます。
危険を感じながらも途切れ途切れになった路線に乗車するセルーですが、ヴェトナムを観光地として売り出そうとしている人たちには疑問を感じ、車内や車窓に、米軍の脱走兵たち、西洋人の特徴を宿した孤児たち、ヴェトナムが受けた数々の傷を目にします。
そして、認可を受けて建てられたはずなのに下水設備もない住宅群を見て、下記のように書いています。
アメリカは帝国主義だというのが定説になっているが、ただ「帝国主義」と言ってもあたらない。アメリカの持ちこんだものはお説教と軍事行動だけであった。植民地を支配する気なら、道路の補修とか下水工事とか恒久的な建物の建造とか、内政面の仕事が必要なはずだが、そういう基本的なことをやった痕跡がどこにも見当たらない。
こうして彼は、ヴェトナムを散々傷めつけた挙句、見捨ててしまった自国の身勝手を嘆きます。
次なる目的地である日本に向かうための飛行機を待つセルーは、いつかヴェトナムから陸続きで他国まで旅ができる日が来ることを夢見ますが、本書執筆時点には北ヴェトナムの攻撃によりヴェトナムの多くの町が壊滅し、彼が乗った電車も既に走っていないことが明かされます。
いよいよ日本へ
ヴェトナムをあとにしたセルーは日本に向かうのですが、日本に関する記述にはたっぷり4章分さかれています。
ただ、そこに書かれた日本は、現代の日本に暮らす私からすると、どこか「知っているけど、知らない景色」に感じられます。
日本に関する主な描写は下記のとおりです。
- 日本人は物価の高さを誇らしげに話す
- 自然に列を作ったり全員同一の行動をとる日本人はプログラムされているようだが、電車でドアへ雪崩れ込む姿に見方が変わった
- 日本の鉄道は無味無臭で、面白みがなく、飛行機と似た単なる輸送システムと化している
- 勤勉で工場労働者みたいな日本人は倒錯した性意識を持っている
あと、執拗なまでに書かれているのは、日本人の英語の発音(例えばRとLの使い分け)を揶揄するような描写だったり、外国人(筆者)に話しかけられた途端に顔を伏せる・逃げ出す日本人の様子です。
その他の記述も含めて、頷ける部分とそうでない部分があります。
それはいわば、ハリウッド映画に出てくる「日本」を見ているような感じです。
果たして、自分には当たり間になっていて気がついていないだけなのか、当時の日本はそういう感じだったのか、セルーが思い込みで書いていたり、脚色して書いているのか、、、
もしかしたらどれも正解なのかもしれません。
そう考えると、ここまで出てきた各国の描写についても、話半分という感じ「またまた口が悪いなー」と楽しむのが正しいのかもしれません。
目的地であった日本に着いたところで、達成感のようなものが書かれるわけではまったくなく……
日本の事務的な様子と、長旅の影響ですっかり消耗してしまったセルーは、極寒のシベリア横断鉄道でさらに追い詰められます。
最終的には、「汽車から逃げたい」という気分になりながら、一刻も早くという気持ちでロンドンに向かうのでした。
上下巻通しての感想としては、さすがにここまで無茶な旅はご免ですが、汽車旅の魅力を十二分に感じる本でした。
もちろん早く移動できるというのは素晴らしいことですが、こうした生活をそのまま運んでいく=「バザール」のような旅もいいなと思います。
あとは、セルーが旅をしてから50年近くが経ち、変わっている風景があるのか、それとも変わらないものがあるのか、非常に気になるところではあります。
いつか、出てきた海外の路線一つでも乗れる日がくることを願いつつ、結びとさせていただきます。